【原始人から現代人まで!】毛皮の歴史

毛皮と聞くと高級品というイメージがありましたが、最近ではファッションのアクセントとしての利用も増えて、さまざまなシーンで活躍する冬のファッションアイテム、必需品とも言われています。一方で、動物愛護の観点から、世界中の動物愛護団体から毛皮の利用反対の声が聞こえてくることも事実です。では、毛皮と人類はどのようにかかわってきたのでしょうか?少し歴史を振り返ってみることにしましょう。

毛皮は人類がはじめて着用した衣類

毛皮は、最も古い衣類の一つと考えられいます。西欧諸国ではよく知られていますが、聖書の中には人類が初めて身につけた衣服は毛皮であったことが記録されています。また、狩猟を生活の手段とする古代の民族には、防寒着として欠かせないものでしたし、毛皮は人々にとって非常に身近なものでした。とくに寒冷な気候の北ヨーロッパなどでは必需品ともなっていました。しかし、衣服もだんだんと多様化するにつれて、人類にとって選択肢が増えてくると、毛皮は特別な衣服の材料として用いられるようになってきました。古代エジプトやローマ時代では、毛皮はある意味での「ステイタス」や「権力」の象徴として用いられるようになります。

毛皮は庶民生活から消えていく

封建時代となっていた中世ヨーロッパでは、毛皮はどのように扱われていったでしょうか。16世紀前半のイギリスのヘンリー8世は、王族や貴族以外の庶民が黒い毛皮を着用することを禁止しました。とくに、黒テンの毛皮は子爵の位以上の者だけが着用できるものとなり、庶民からは遠ざけられてしまいました。その頃の古い絵画には、高い位の貴族たちが黒い毛皮を首に巻いていたり、ショールのようにして身にまとっている様子が描かれているのを見たことがある方も多いかと思います。ちなみにこの黒テンとは英名ではセーブルと呼ばれていて、高級な毛皮を持っている動物として珍重されてきました。ネコとイタチのあいの子のようなセーブルの黒い毛皮は、遠い昔から庶民のあこがれでした。

こうした事情は日本でも同様です。日本ではこの黒テン、つまりセーブルは10世紀頃の平安時代から、既に高級な貴族の毛皮として知られてきました。この毛皮は渤海(ぼっかい)、近年では、満州、ロシアとして知られる地域にかつて存在した国から輸入されて、当時の皇族や貴族に愛用されていました。興味深いことに、「源氏物語」の「末摘花」の中には、その当時の若い女性には珍しいこととして、この黒テンの毛皮を着用していたという記述が残っているそうです。

毛皮の利用の広がり

18世紀以降になると、毛皮はヨーロッパ全土に広まっていきました。引き続き貴族は、キツネテン、イタチなどの毛皮を身にまといましたが、庶民も羊、犬、猫などの毛皮を使用するようになっていきました。ラッコの毛皮が最高級品として高い金額で取引されるようになり、乱獲の問題が生じ始めたのはこの頃です。ついに、20世紀の初めにはラッコは乱獲されて絶滅する寸前になっていました。私たちはラッコと聞くと、水に浮いて寝る器用な生き物と考えますが、実は、ラッコは岩場で仰向けに寝る習慣を持つのんきな動物だったようです。しかし、乱獲されて絶滅の危機になってからは、人間から身を守るために生き残ったラッコ同士が手をつないで、水の上に浮いて寝るようになっていったと言われています。

毛皮は再び大衆が利用できるものとなる

その後、20世紀の半ば以降になると、狩猟による毛皮の採取は減少していき、流通する毛皮の大半が飼育場で飼われいる動物の毛皮を加工したものになっていきました。今日、私たちが身につけている毛皮のほとんどはこうしたものですから、乱獲の結果として動物が絶滅してしまうということは少なくなってきましたので、多少、ほっとするところです。しかし、皮肉なことに、今度は動物愛護団体の活発な活動によって、再び庶民の毛皮利用が制限されようとしています。そのきっかけは、かつての王侯たちの利用制限とは異なるもっともな理由ではありますが、やはり、歴史は繰り返すという感じがして、大変に興味深い現象と言えます。人間の生活と毛皮の、つかず離れずの関係はこのように連綿と続いてきたことを考えるときに、貴重な毛皮を大切にして、今ある毛皮をしっかりと活用していきたいと感じます。